父は、かつて、防風林としてシークヮーサーを植えたという。
ほとんどお金にならなかったそうだ。

今では、農家(沖縄)の収入の柱のひとつになっている。

だいぶ前からシークヮーサーを緑のダイヤモンド(Green diamond)
と命名しようと考えていた。
そして、これを世界に輸出してブランドにしようという構想をを持っていた。
そのためにこのブログを綴ってきた。

だいぶ早くなり、
私の命名したブランド名を今日、発表することにした。
その理由は以下に述べる。

2015年6月1日月曜日の午後。
あるホテルに4人が集まった。
jun、マッチ近藤、ジョブズ、そして私。

その日はジョブズ氏による物販の講座。
jun氏は物販界の革命というべき、junzonを発表。
そのための講座の開催をこの沖縄の地を選んでいる。

jun氏の構想をすすめていく方法を
ジョブズ氏が伝授。
その講座を受けながら、
私の頭に、妄想がわき出てきた。

なんとシークヮーサーが、沖縄の経済を支えていく一大産業に発展
し、世界に広がっているのだ。
その中心人物である4人が集結している。

その日を忘れないために、ここに記しておくことにする。

この4人を結びつけたのは
日本中で様々な企画を強烈な個性で実践している
坂本龍馬ことマッチ近藤氏。

私が参加できたのも偶然ではないと思う。
マッチ近藤氏のブログを読み出して
まだ7ヶ月にしかならない。

彼が私を引き寄せてくれた。

物販の帝王であるジョブズ氏は、
販売を手伝うと言ってくれた。

以上、私の妄想を記しておきますね。

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